審査員 No.1 安野太郎

NPO法人クリエイティブサポートレッツ2

2019年08月01日 09:51





【名前】
安野 太郎

【プロフィール】
1979年生まれ。日本とブラジルのハーフ。東京音楽大学作曲科卒業、情報科学芸術大学院大学修了。

いわゆるDTMやエレクトロサウンドとしてのコンピューター・ミュージックとは異なる軸でテクノロジーと向き合う音楽を作ってきた。


代表作に『ゾンビ音楽』がある。第58回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館代表作家の一人。


第7回JFC作曲賞1位
文化庁メディア・芸術祭アート部門「ゾンビ音楽」
清流の国ぎふ芸術祭 Art Award In the Cube 2017 高橋源一郎賞「大霊廟」
第10回創造する伝統賞 等


ゾンビ音楽




大ゾンビ音楽「大霊廟」





【審査への意気込み】
私は作曲家です。「ゾンビ音楽」という曲も機械も全て手作りの自動演奏音楽を実践しています。
その音楽は人間にも機械にも実践されてこなかった摩訶不思議な音楽です。
私はこの音楽をこの世の音楽として位置付ける為に`マトモな機械`の音楽と区別する為に
「ゾンビ音楽」と名付けて位置付けたところ、
そこそこ世間(の一部)から理解を得られるようになってきました。
略歴にある通り、そこそこ活躍てきてるのは良いのですが、
僕はこの「ゾンビ音楽」の活動を通して得た考えや疑問があります。

もう一度書きますが、
僕は「ゾンビ音楽」を他の自動の音楽と区別する為に`ゾンビ`と名付けました。
それによってゾンビ音楽が他の音楽と比べて奇妙だとしても
独立した立ち位置ができて今に至る活動があります。

ゾンビ音楽は`マトモな音楽`しか体験した事の無い人には
たまに馬鹿にされます。かく言う僕自身も時と場所によっては
ゾンビ音楽を若干の自虐を込めてプレゼンテーションしたりして、
ややウケを狙うこともあります。別に馬鹿にされて悲しい等はほとんど無いのですが気になる点があります。

それはマトモとマトモじゃないものを分けようとする人間の態度です。
異なったものを区別してそれぞれ比較検討し個別に名付けるという行動は
人間の知的な営みとしては肯定するのですが、
2つを分ける境界線は常に問題となります。
そして、この様な区別が`ゾンビ音楽`の様に機械に対して行われる場合はまだ良いかも知れないのですが、
人間そのものに適用されると、とたんに奇妙な事が起こります。
`マトモな人間`と`マトモではない人間`を区別しはじめ、
マトモじゃない側を`障がい者`等と名付ける事になります。
人間は本来一人一人とてもムラがある物だと思います。
人の数だけもの差しがあります。
なのになぜ`障がい者`と名づけるのでしょうか?
それは人は実は人間を人間と考える事が難しい。
人間は人間をイメージする時に理想の人間像を完全に実現している`機械`をイメージしているのではないだろうか?
人間は人間を人間としてとらえているのではなく、機械としてとらえてしまっているとすれば、
そこにあらゆる`障がい者`や差別等の問題の根っこがあるのではないだろうか?
と僕は考えるのです。
手作りの機械によって生まれた奇妙な音楽。`マトモ`に考えたらそれは失敗作として闇に葬られていたのかも知れませんが、どいういうわけか`向き合う`ことを選択して今に至り、
ゾンビ音楽は様々な思考を巡らせる存在として僕のそばにいます。

スタ☆タンは雑多な音楽の祭典と聞いています。
僕は機械の音楽を通して人間を考えてきました。
そこで得た様々な思考で今度は雑多な人間一人一人と向き合い`人間`について考えたいです。
生活のほとんどを機械に囲まれて生きている我々人間にとって、
何か未来につながる考え方、共に生きるあり方を獲得する可能性をこのイベントから感じています。




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